中華街でひときわ目を引くきらびやかな建物が“関帝廟(かんていびょう)”です。
祀られているのは三国志で有名な関羽(かんう)。そろばんを発明したともいわれ、商売の神様として信仰される関羽は、異国の地で商売をする華僑たちの心の拠り所です。

現在の関帝廟は4代目。開港直後に祠が置かれて以来、約150年間かわらずこの場所から町を見守り続けてきました。

そのはじまりには、諸説ありますが、147年前の1862年(文久2年)に木造の関羽像が置かれたささやかな祠が開かれたという説が有力です。
1862年は、現在の中華街一帯、旧横浜新田の埋め立てが完了した年です。横浜が開港し準備された新居留地に、いち早く華僑たちは拠点を築き始め、1871年に本格的な関帝廟が建立され、初代関帝廟が誕生します。

建立から15年を迎えた1886年(明治19年)、関帝廟は敷地を拡張。1891年(明治24年)には大改築が行われます。関羽のご神体を香港から新たに迎え、廟内部は豪華な彫刻を施し、建物全体をレンガと石造りの高い塀で囲みました。まるで城郭のような関帝廟が完成します。

改築した初代関帝廟ですが、1923年の関東大震災により全壊してしまいます。
2年後の1925年に再建を果たしますが、第2代関帝廟は1945年の大空襲で罹災…。
度重なる焼失を受けても、華僑にとって関帝廟は必要不可欠な存在。
終戦直後の物資のないなか進められた3代目関帝廟の建設には、横浜だけでなく東京、神戸、大阪華僑たちの浄財が集められ、1946年(昭和46年)には、第3代関帝廟の完成を迎えました。

しかし、多くの華僑の協力のもと築かれた第3代関帝廟は、1986年(昭和61年)の元旦、原因不明の出火により焼失してしまいます。
幸いにも、ご神体である関聖帝君(関羽像)など諸神明像は無事でした。
そして、1988年(昭和63年)、3度目の再建がはじまります。
新廟は日本の関帝信仰の中心となるべきものにしようと、大規模な建立計画が考案され、中国から工匠を招き伝統建築工芸の粋を駆使して建造されました。工期は2年以上、使われた金箔は3.5キロにもおよんだといいます。

こうして、1990年(平成2年)、現在の第4代関帝廟が完成したのです。

数々の苦難を乗り越え再建をくり返した関帝廟は、横浜中華街のシンボルであり誇りです。
中華街を訪れたらぜひお参りしてみてください。