第4話でお話しした“三把刀(さんばとう)”と呼ばれた横浜華僑の代表的な職業、洋裁、理髪、料理のうち、時代とともに増えたのが料理です。
現在、中華街には600店もの中華料理店が並びます。しかし開港当時、この街の中華料理店は数えるほどでした。
 
初めて中華料理店の記述が出てくるのは明治3年度版の人名録。49番地「ウォン・チャラー」、81番地「アー・ルン」の2軒が“チャイニーズ・イーティング・ハウス”として登場します。
 
その後1887年(明治20年)には10軒になりますが、まだまだ中華料理店は街の顔にはなりません。現在の中華街で一番古い店が開店したのもこの頃。中国語の発音で表記するのがほとんどだった店名を、初めて日本語の音読みで表記するなど、日本人客を意識した中華料理店の先駆けでした。
 
明治30年代に入り、中華街は徐々に飲食店街を形成していきます。きっかけは、1894年(明治27年)の日清戦争による華僑の激減と、その5年後の外国人居留地の撤廃でした。
 
当時、料理に携わる人の大半は広東省出身者で、1909年(明治43年)には『名誉鑑』という本で“有名な広東料理店”として、中華街の老舗の名前がいくつか紹介されています。この頃、シナチクとチャーシューがのったラーメンの原型が出来上がったとも言われています。
 
その他、老舗店の古いメニュー表などを見ると、昭和初期には、現在中華街で味わえるメニューの多くがすでに出そろっていたことが伺えます。明治後期~大正~昭和初期は、日本における中華料理の土台が作られていった時代だったのですね。